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大井町物語 第八話

大井町物語

大井町物語第八話

いやなものは、いやでありんす

突然で申し訳ないのですが、皆さんは「味噌」をどちらでお買いになりますか。
もちろん、どこでお買いになってもかまわないのですが、なかにはこだわっていらっしゃる方もいらっしゃるのではないかと思いまして…。

ちなみに、東京味噌なら、江東区をはじめ各地で販売している「佐野みそ」、五反田店が拠点の「坂本商店」、浅草方面なら「万久味噌店」、江東区の「ちくま味噌」、港区の「日出味噌」、そして世田谷の「廣瀬味噌」などが有名です。
「味噌は信州にかぎる」とか「京都の白味噌が一番」とか、「東京の味噌は甘いねえ」とか、味噌にこだわる方はきっとご存知かもしれませんね。

では、私たち大井町に住んでいる人は、どこで買うか。実は、いい店があるんですよ。

大井町の味噌屋さん

大井町駅から青物横丁方面に歩いた先に「仙台味噌醸造所(正式には八木合名会社仙台味噌醸造所)」という老舗があるんです。そうです、そうです。仙台坂の上ですね。

では、なぜ、大井町に「仙台味噌」の会社があるのか。そして、どうして、その近くの坂を「仙台坂」と呼ぶのか――――。
今回の「大井町物語」は、この謎解きからはじめることにしましょう。

皆さん、その昔「独眼竜政宗」というNHKの大河ドラマを覚えていますか。そうですか、もうずいぶん昔のことですから、覚えていない? うろ覚えですが、たしか渡辺謙が主役だったと思います。
この政宗、仙台藩の初代藩主として、若き日には豊臣秀吉や徳川家康と五分に渡り合った名将ですよね。
ですが、世の中の常で、政宗の死後、この伊達家が大きく揺らぐことになります。その仙台藩の大きな下屋敷があったのが、仙台坂一帯、具体的には「仙台味噌醸造所」は、その下屋敷の味噌蔵の跡地なんです。

なぜ、伊達家が揺らいだか。

三代目、つまり、「独眼竜政宗」の孫が志村けんじゃありませんが、かなりの「バカ殿」だったからです。「バカ殿」、その名を、伊達綱宗と言います。

伊達綱宗は、仙台藩二代藩主伊達忠宗(政宗の次男)の六男で、十八歳で藩主となり、大井村(現・東大井四丁目)に二万坪余りを拝領し、そこを仙台藩の下屋敷にしたんですね。もちろん、江戸城に近いところに上屋敷もありました、なにしろ、全盛期には、仙台藩士が約三千人もやってきて、江戸で生活をしていたというんですから、その宿舎で食事のための味噌づくりも必要だったわけです。

ああ、そうでしたね。なんで三代目藩主が「バカ殿」だったかでした。

 この綱宗、実は大変な「遊び人」で、藩政を顧みず、遊興三昧。特に当時の遊郭「吉原」で一番と言われた三浦屋の高級遊女、二代目の高尾太夫(たかおだゆう)に入れあげたんです。この高尾、歴代高尾太夫と区別するために「仙台高尾」と呼ばれているほど、綱宗、夢中になったわけです。

 太夫って、すごいんですよ。ただ、浮世絵に描かれるような美女だけでなく、子供の頃から教育されていますから、中国の古典は読破しているし、書道、茶道はもちろん、和歌は詠むし、琴の演奏もする、大変な教養人だったんです。

 歴史上、「高尾太夫」を名乗った女性は十一人いますが、なかには大名の側室になった女性もいれば、安定した余生を捨て、ただひとりの男に尽くそうとした太夫もいたということです。落語に出てくる「紺屋太夫」なんか、そうですね。

「吉原」というところには、しきたりがありましてね、そんな太夫に相手にしてもらうには、ものすごい金がかかったんですね。最初に自己紹介するだけで、江戸の職人なら一年間の年収分払わないと、会ってくれない。一年間飲まず食わず貯めたお金でも、ただ、太夫が部屋にきてくれるだけですよ。そのために年収分の支払いが必要だった。

 そして、二度目。これも、ただ会話だけ。触らせてもくれない。この時も年収分。これを「裏を返す」というんですね。そして、三回目から「馴染み」と言って、酒がいっしょに飲めるんです。つまり、庶民が太夫に会おうとしたら、三年働いて、一切無駄遣いをせず、貯めておいたお金が必要だったんですね。

今のお金でどのくらいですかねえ。一回太夫と一緒の部屋で二人きりになるには、三百万円以上の資金が必要じゃなかったんですかねえ。

 高尾太夫に入れ込んだ、この三代藩主綱宗、それを毎晩続けたからたまらない。しかも、金銀財宝のプレゼント付き。あげくに、この太夫を身請けと言って、自分が殿様であることをいいことに、店に大金を払って、遊女をやめさせ、自分の個人的所有物にしようとしたんです。

 でも、断られた。執拗に迫る「バカ殿」。

「お前の好きなものは何でも買ってあげる。余のものになれ」

「いやなものは、いやでありんす」

二代目高尾太夫は、野州(栃木県)下塩原塩釜村の農家の娘で、名を「みよ」と言いました。幼い時に両親を亡くし、親戚の家で育てられ、物売りをしていたところを、たまたま出会った吉原の三浦屋の夫婦が、あまりの器量の良さに将来性を買われて、スカウトされたのです。

すると、想像通り、二代目高尾太夫として、絶大な人気者になったのでした。

この高尾太夫、「バカ殿」の申し入れを断ったのには、わけがありました。

実は、好きな男がいた。鳥取藩の若侍、島田重三郎であったと言われていますが、定かではありません。

三代藩主綱宗、それでも諦めません。太夫に三千両の値をつけます。今の相場で言えば、五億円。これ、仙台藩の公金ですよ。しかも領収書なしで。

それでも「いやなものは、いやでありんす」。

ついに堪忍袋の緒が切れたお殿様、万治二年十二月、隅田川を下る船の中で、「かわいさ余って、憎さ百倍」。愛してやまなかった高尾を、逆さ吊りにして、彼女の首を水中に斬り落としてしまったのです。

ひどい殿様がいたもんですねえ。

数日後、隅田川河岸に流れ着いた高尾の亡骸を、近くで庵を結んでいた僧が手厚く葬ったそうです。 高尾の不憫さを江戸の多くの人が涙を流し、同情したと言います。

この事件は、当然のことながら、すぐに幕府に知られることとなり、「バカ殿」仙台藩三代藩主伊達綱宗は、わずか二十一歳で「隠居」を命じられ、伊達家は綱宗の二歳の長男、亀千代(のちの綱村)が藩主となります。そんなことをしても、犯罪じゃなかったんですねえ。「文春砲」もなかったし。

ただ、このあとの仙台藩の主導権争いは大混乱。その様子は、歌舞伎の『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』や、山本周五郎の小説『樅(もみ)の木は残った』で現代まで多くの人に知られています。

そうそう、大井町の話でしたよね。

その元藩主、伊達綱宗が隠居を命じられ、以後暮らした仙台藩下屋敷があった場所が、仙台坂付近であり、やがて五代藩主の時、この敷地の大部分と上大崎村の鯖江藩下屋敷との交換により、二万坪あった土地がわすか三千坪に縮小され、仙台藩士の食料貯蔵のための施設としてだけ使われ、戦後は仙台出身の学生寮になりました。

そして、今日の本題。

かつて郷土の味を欲する藩士たちのための味噌づくりをした小屋は、仙台藩下屋敷跡にそのまま残り、明治三十五年、八木家に委任され、「仙台味噌醸造所」として、現在に至っているというわけです。

大井町と伊達政宗、まさかと思う展開だったでしょう。

そうそう、こんな小噺が残っています。

仙台駅で「政宗弁当」というお弁当が売られていたので、ある人がそれを買って東京に向かう新幹線のなかで、食べようとあけてみたが、中身はごく普通の駅弁と変わらない。

不思議に思ったその人、次に仙台に出張に行った帰りに、売店で聞いてみた。

「この政宗弁当って、どこが政宗なの?」

 駅弁売りが言いました。

「ほかのお弁当に比べて、少しごはんがカタメなんです」

話が少し手前味噌でしたね。

おあとがよろしいようで、では、また次回をお楽しみに。

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