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大井町物語第十四話

大井町物語

大井町まんじゅう

まんじゅう、怖いよー

品川区の大井町とまんじゅうの関係、ご存知ですか?

えー、いつも大井町に関連するお話をさせていただいておりますが、今回は、おいしい和菓子について、お知らせしましょう。

実は、大井町周辺には大変多くの和菓子屋さんがあるのをご存知ですか。

ちょっと、挙げてみますね。

駅内や周辺ですと、「口福堂」、「蕪村庵」、「日本橋長兵衛」、「文明堂」、「梅月」、立会川まで足を伸ばしますと、「遠州屋」、「狭山」、「大黒屋」なんて、とにかくたくsななって、どの店も大変ににぎわっておりますね。

そんななかで、今日は、なんと「大井町とまんじゅう」との意外な関係についてお読みいただきたいと思います。

 まずは、一席、「まんじゅう」に関する落語を一席申し上げます。

 暇を持てあましている長屋の若い衆が集まりまして、それぞれ「自分が怖いもの」を言い合っていたところ、ひとりの男が「何を言ってやんでェ、いい若い者がアレが怖い、コレが怖いなんて、バカじゃねえの。俺なんか、怖いものなんて、ひとつもありゃしねえ」と、言い放ったのです。

「おやァ、お前、そんなエラそうなこと言っていいのか。そういうヤツにかぎって意外なものが怖かったりするんだ。正直に言えよ。お前は本当は何が怖いんだ? クモか? ゴキブリか」

 すると、その男、急に小声になって、

「実は、俺、まんじゅうが怖いんだ。ああ、ダメだ。まんじゅうの話をしただけで、もうダメだ。気持ちが悪くなった」

 と言って、隣りの部屋に行き、布団に潜り込んでしまいました。

「おい、みんな、あいつ生意気だから、もっと怖がらせてやろう!」

「そうしよう、そうしよう」

 集まった若い衆は、隣りの部屋に向かって、たくさんのまんじゅうを投げ込みました。

「怖いよォ~、怖いよォ~」

 怯える男の声が聞こえます。みんなおもしろがって、どんどんまんじゅうを投げます。

 そのうち、急に静かになったので、「もしかしたら、死んじゃったんじゃないか」と心配した仲間たちが隣りの部屋をのぞくと、その男、パクパクとおいしそうにまんじゅうを次々と食べているじゃありませんか。

 騙されたと思った仲間が、その男に聞きます。

「お前は、本当は何が怖い」

「次は、濃いお茶が怖い」

 おなじみの落語「まんじゅう怖い」の一席でございました。

 このまんじゅうが、実は、大井町とつながっているのですが、それはおあとのお楽しみでございます。

まんじゅうは、渡来した中国人の発明?

そもそも、まんじゅうは、どうやって生まれたのでしょうか。それは、横浜の中華街を歩いてみれば、よくわかります。

 そうです。皆さんの大好物「肉まん」、あれが「まんじゅう」の始まりです。

中国では、まんじゅうのことを「饅頭(まんとう)」と言いまして、中国では古くから食べられていたものなんですね。

 それが、なかにあんこの入ったまんじゅうに生まれ変わったのは、いまから約六百七十年前、貞和五(一三四九)年、中国の宋の時代、仏教の修業を終えた龍山徳見禅師という僧侶が日本に帰国することになりました。

 この日本から来たお坊さん、現地の荒修業で苦労したせいか、僧侶たち以外の中国の現地の人たちに大変に人望があったものですから、いよいよお別れの時、感極まって、多くの中国人の間から、泣き声が聞こえたほどだったようです。

そのなかに、ひとり、「先生について日本に行く」と言って、禅師のそばを離れないひとりの中国人がいました。

 名を、林浄因(りんじょうえん)と言います。この男、別に僧侶ではありませんが、ふだんから禅師の雑用をしていましたから、とうとう日本に来てしましました。しかし、わが国でやることはありません。

 そこではじめたのが、「まんじゅうづくり」でした。先にお話ししましたように、中国では「肉まん」です。でも、菜食主義の僧侶は、肉を食べてはいけません。そこで、肉の代わりに、小豆(あずき)を煮詰め、甘味と塩味を加えて蒸しあげてみたら、これが僧侶はもちろん、貴族たち上流階級に大評判となり、林浄因は一躍、時の権力者に召し抱えられるようになったのです。

 林さん、いいとこに目をつけました。まさに、リンキオウヘン。なぜなら、林さんが「饅頭」のなかに肉の代用として入れようとした小豆は、古くから「邪気払い」、「厄除け」の効果があり、「縁起物」として尊重されていたんですね。さらに、当時は、庶民には手が届かないほど高価で、貴族といった一部の高貴な人しか食べられなかったんですよ。

 そのため、「位の上の方に差し上げる」引き出物に、「まんじゅう」が使われたのです。「紅白まんじゅう」なんて、その名残りですね。

 林浄因は、それを知ってから、中国人では政治的に交渉ごとがややこしいですから、日本人に帰化し、日本の和菓子の総本家ともいうべき、塩瀬家と縁を結び、室町時代には将軍足利義政より「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」の看板をいただき、なんと、時の土御門天皇からは「五七の桐」の御紋を拝領。とうとう、天皇家御用達の「和菓子屋」になったのでした。

まんじゅうの祖、林浄因の碑が大井町のお寺の境内に

これ以降も、この「まんじゅう」は、織田信長、豊臣秀吉、そして、徳川家康にも愛され、徳川家とともに、江戸に入ります。

さらに、林のまんじゅうの歴史は、明治に入っても、宮内省ご用達となり、現在にもつながっているのです。

え、どこが大井町と関係しているか、ですか。

実は、京浜急行の立会川から徒歩十分のところに来福寺というお寺がございます。

このお寺の境内に、この「まんじゅう」の祖、林浄因の碑が残っているんです。日本を代表する和菓子の塩瀬総本家が、大正十四(一九二四)年に建立したと言われています。

お近くをお通りの際は、立ち寄ってみてください。

大井町とまんじゅう、意外な組み合わせでしたね。

一度、「まんじゅう、怖い」と言ってみてください。「次は、何が怖い?」と聞いてくれた人とは、すぐに友だちになれますよ。

また、お会いできる日まで。お元気で。

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